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それは、いつから始まっていたのか、もう僕にはわからない。
そもそも『始まり』も『終わり』も、すべてにおいて不確かなものだ。
それはたとえば、人の生命が始まる瞬間。
どうやって命が生まれるか知らない者はいなくても、その瞬間を知りえる生き物はさてこの世にいるだろうか。
それはたとえば、この世界の始まり。
誰が、どうやって、いつから。この世界を始めたのか。誰が世界という概念を始めたのか。
さらに話を膨らませるなら、宇宙とは何が始まりなのか。
科学で知りえる情報は始まってからの説明ばかりで、始まりという説明は為されていないように思う。
始まりとは、既に始まっている事象やこれから始まるだろう出来事に対して誰かが『始まった』と宣言することによって決まるのだと、思う。
そして終わりも同じ。終わらせるために、終わってしまった事に、『終わり』という枠で切り落としてしまってそれは閉じられるのだ。
そして今、僕はいつ終わらせるべきか分からない随分昔から始まってしまったものを持て余している。
「わっかりづらいナァ、関口さんの話は余計な中身だけが半分見えたパズルみたいですね」
僕の周りを取り巻く薄暗い空気と対照的に、軽い声が事も無げに云い放つ。
昼も大きく回った午後、客足の途絶えた蕎麦屋で僕は益田龍一と顔突き合わせて笊蕎麦を啜っていた。
行くあてもなくただ街を徘徊していた僕は、浮気調査の帰りだという益田とたまたま行きあったのだ。
昼も食べる暇なく張り込みだったと笑う益田に、そう云えば僕も昼を未だ食べていないことを思い出し、ぼんやりとした口調でそう応えるとならご一緒しましょうよ、と誘われて蕎麦屋の暖簾をくぐった。
「始まりとか終わりとか、気にしてみたこともありませんねぇ。そもそも、誰に始まってんですか」
「それは……それが言えたら、僕はさっきみたいに言葉を選ぶ必要はないよ」
箸で蕎麦をざくざくとつつく。ぼろぼろと崩れてまるで赤子の皿の上のようにみっともない。
益田は大げさに眉を上げてそのつり上がった目を見開く。
「あれで言葉を選んでたって、中禅寺さんが聞いたら鼻で笑われてしまいますよ」
「ぁ………う、…分かっている…よ」
表層に上らせないように努力したつもりが、その単語を聞いただけで動揺あらわに箸が指から落ちる。ぼそぼそになった蕎麦の上に落ちたそれを拾いながら背を丸めて答え、恐る恐ると顔を上げると口の端から蕎麦を一本垂らしたまま益田の笑みが固まっていた。
「…益田君」
「…ッあ、いえすみません。あのー、あのですね、何か僕空恐ろしい事に思い当たっちゃったんですけどね」
急に口数が多くなる益田も、狼狽えている。
見かねて口元を指さしながら、蕎麦、と言ってやればちゅるりと口の中へ吸いこまれて行った。
「何がどのように、はまだちょっと尋ねる勇気が出ませんが…中禅寺さん、なんですか」
選りに選って、という言葉は飲み込んだらしい。それでも顔がそう云っている。
芒洋とした感情を括るその単語に、僕は黙って頷いた。
「……でも、お二人とも………その」
「解っているよ。だから、持て余しているんだ」
終わらせることが出来ないそれを。
益田は先ほどまでのあっさりとした軽薄な態度を失って、少し眉を下げている。
「あれもね、きっと気づいているから」
ただの憐憫の眼差しとは違うのかもしれない、むしろ同病相憐れむといったところか。
益田が自分に向けるにはあまりに慣れぬ優しい視線が肌に柔らかく突き刺さり、居た堪れなくなって僕の方から眼を逸らしてしまう。
上等とは言えないながらも趣味は良さそうなネクタイを見つめながら、独り言のように口を開く。
「あれはそもそも、僕より僕自身を把握しているからね。僕の自覚よりずっと先に気づいていただろう。
そして僕は、誰より的確に僕を理解して、僕の世界を握っているあれに当然のように依存している。
雪絵のことは大切だ。あれほどできた妻はいないと思っている……でも、捨て切れない」
家内の名は口に出来るのに、件の男の名だけは紡げない。
これ以上形を与えてはいけない。均衡を保ち続けるしかないのだ。
その張りつめた糸を引っ張っていた指が、最近になって滑ってしまいそうで、僕はずっと悩んでいた。
「……・……誰かに、言ってしまいたかったんだ。元より僕は僕の中で何かを抱え込めるほどに強固な匣を持っていない。隙間から滲んで漏れ出す前に、どこかに少しでもいいから流してしまいたかったんだと思う」
益田は卓上の薬味を黙って睨みつけていた。
彼もまた、己の裡に蟠る想いがあるのだろうと思う。
確認したことはないが、そう云えば以前榎木津が太陽が眩しいと騒いでいた。もしかしたら関係しているのかもしれない。
「関口さん」
「なんだい」
「僕は我ながら卑怯です。だから、言葉に責任は持ちません。それを前提に聞いて下さい」
ゆっくりと僕を見据えた瞳は、僅かばかりと感情が高ぶっているのだろうか、薄く水が溜まっているように見えた。
「……中禅寺さんが貴方の想いに気づいているなら、あの人なら簡単に落とせます。どうとでもできます。
今まで関口さんが持て余したままだったのなら、貴方はそれを捨てなくていい、持っていて構わないのだとあの人が赦しているんだと、僕は思います」
表情がその長い前髪で隠れて、希望を多分に含んだ憶測です、と消え入りそうな声とともに、スン、と鼻をすする音が小さく聞こえた。
僕は何だか、目の前の彼を酷く愛おしく感じた。
「確かにあの人が気づいていない訳はないでしょうから、見て見ぬふりをしていた弊害くらい押しつけちゃっても罰ァ当たりません」
「そう、なのかな。そうかもしれない」
卑屈な気持ちではなく、素直にそう思った。彼は知らぬ振りで僕を赦しているのだと。
ため息をひとつ零す。思ったより浅かったそれは、僕自身の体から澱を少し攫って行ったようだった。
「打ち明けた相手が君で良かった」
「とんでもない。特別頭が回るわけでもない上に人生経験も浅い僕じゃあ何の役にも立ちません」
椅子を引いて僕は立ち上がる。
音に顔をあげた益田は、やはり少し目じりを赤くしていた。
「いや、同じ悩みを持つ者、なかなかどうして気が楽になった」
卓上に蕎麦の代金を置き、ぎこちなくも益田に笑いかける。
益田はというと驚きに眼を僅か見開いて、何度か唇を震わせた。
「太陽も、気付いているかもしれないよ」
謎かけめいた言葉は、他の誰でもない益田には答えのようなもので、僕の口からでた情報が何よりの証拠だときっとわかっているのだろう、益田は一瞬で耳まで赤く染め上げた。
「君、凄いな」
「み、見ないで下さい」
逃げるように俯いてしまっても耳が見える。
その初々しい反応はやはり若いからなのだろうか、僕たちのような長い付き合いじゃないからかもしれない。
なんにせよ、益田の素直な態度をあの男が目にしたとしたら、あるいはもしかするかもしれない、とこちらも希望的観測が胸中をよぎる。
独り身の彼らと違って、僕もあれにもすでに伴侶がいる。
それを大切に想う心に偽りはなくても、同時に深い罪悪感を抱く。
それでも、もし本当に赦されるのなら。
もう少し、この感情を連れていきたい。
中禅寺に特別な感情を持っている関口。
榎木津に特別な感情を持っている益田。
関口を許容しているように見せかけて離す気のない中禅寺。
益田の思慕に気づいたら待つ優しさなんて絶対ない榎木津。
榎木津お題にいろんなキャラを出そうと躍起になって出した中禅寺と関口君のお話。
関口は鈍いけど静かに慕情を募らせていってそうです。自分では気づかない。
続くと思います。少なくとも榎益として榎木津お題に続いていくと思います。