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姑獲鳥の夏ネタを曖昧な記憶を頼りに絡めて見ました。
鬱関口←中禅寺&関口→←京極 のような。色々と偽物です。
汗が流れた。
濡れたシャツが肌に張りつくその不快な感覚は、時折鮮明に押し寄せる過去に繋がる。
学生服
恋文
ダチュラの花
少女
伝う鮮血
―――そういえば、結局あの時僕はどうやって此方へ帰って来たのだろう。
「随分と昔の事を今更気にするなあ、君は」
蝉の声が室内で反響し頭蓋を痛めつける中、座して動かぬ古書肆、京極堂こと中禅寺秋彦は目線を上げもせずに活字を追いながら卓台を挟んで向かいに座る僕へ素っ気無く云った。
その声はそれ程大きいボリュームでもないというのに、蝉の忙しない鳴き声が飽和する空間に実に滑らかに沁み入った。おそらくはスペクトログラム、周波数が異なっているからこそ相殺されないのだろう。
「今こうやって元気に、と云うほど君は活き活きとはしていないが、人の家でのんべんだらりとしているんだから気にする必要もないのじゃないかね」
「気になってしまったんだから仕方がないだろう。確かあの時、随分と君や榎さんに迷惑をかけたらしいじゃないか」
自分の事なのにまるで他人事のような口振りになってしまうのは、ただ単純に僕自身がその時期の記憶を失っているからだ。
否、失っているという程にそれは特別な事態では無い、僕にとって己を見失い、記憶を改編し、心を見失うのは日々お馴染で随分と筋金入りの――病、なのだ。
「君に迷惑を掛けられているのは何もその時限りじゃないだろう。今だって十分に迷惑だよ、この本を今日中に読んでしまいたいのに」
会話は成り立っていても顔すら上げない書痴は本当に頭に入っているのか、水を流すように目を動かして頁を捲っていく。
そう云えばいつだったか、あれは出会い始めの学生時代。彼は積み上げた本の隙間に倒れこむようにして体を突っ伏していて、寝不足に目の下に濃い隈をこさえて呟いた。
『命に限りがあるという事は、読むことのできる本にも限りがあるんだ。……折角本が在っても、読めないまま終わるなんて腹立たしいなあ』
そのまま落ちるように眠ってしまった彼は、今はそのような可愛げのある風情も消え失せて日々書物を開いては膨大な量の知識を取り込んでいる。その執着だけはあの頃より強くなっているのかもしれない。
それでも、古本屋曰く彼の読書を邪魔する能力にのみ特化してしまっているらしい僕は何も気にせずにもう一度口を開く。
「どうせ僕が居ても居なくても読んでいるんだから同じじゃないか。黙らせたいなら一言、教えてくれれば良いだけだろう」
そもそも、僕が引き下がらない理由はいつだって京極堂にある。彼はその気になればどんな相手だろうと操作し、攪乱して洗脳する事が出来る。それだけの知識と言質を持っているのだ。云いにくいことならば煙に巻いてしまえば良い。知らぬと突っぱねても、適当な事をでっち上げて信じ込ませても良いのだ。
しかし彼は嘘を厭う。改悪を否とする。余程の事で無ければ捏造も虚言も遣いたがりはしない、例えば憑き物落としのような時でなければ。
知っているからこそ突っぱねる事が出来ぬ、云いたくなくても、嘘をつくのに躊躇いが生じる。僕はその隙間に気付いて身を潜ませたがる、開きかけた扉の隙間は誰だって覗いてみたくなるものだ。
「…思い出さぬままの方が良い事もあると、君は経験したと思っていたのだがね」
「それは思い出すまで僕には判ずることは出来ないからね」
頁を繰る指が鈍る、それは彼の心が揺らいでいる証拠だ。彼の表情を盗み見れば、すでにその眼は活字を追ってはいない。
「…君が、自分から思い出さないならその方が良いと思っていたんだ」
随分と歯切れ悪く始まった昔話は、彼の前置きから始まった。
君は毎日部屋の隅で膝を抱えて鬱々と何か呟いてはいつも何かに怯えていて、僕も榎さんもほとほと困り果てたよ。榎さんは純粋に遊び相手を欲していただけのようではあったが、それでもあれにしては随分を君を気にかけていて、三日に一度は手土産を持っては部屋に押し掛けてきた。
僕はと云えば、同室だったからね。同じ空間に陰の気を纏う人間が四六時中居るとなれば、其れなりにストレスを強いられていた。あの頃は僕にも其処までの余裕はなかったから、限界は当然やってきた。
「君ね、いい加減にしろよ」
昼食をすませて部屋に戻ると、先程部屋を出る前と全く変わらぬ態勢で窓際に座り畳に伸びる自らの影へ目を落としたままの関口が居て、僕はそれだけで何故か堪らなくなってしまった。
「何があったのか説明もせず、何日もそうやって動かないままで。君はそれで良いのかもしれないが毎日その姿を見せられるこちらの気持ちも考えてくれ」
苛々と渦巻く感情をぶつける様に厭味ったらしく云えば、ゆるりと関口が顔を上げた。何日もろくに食事を取っていない彼の頬はこけて、元々猿と称される大きめの眼窩や耳がその存在感を強くしている。
瞳が薄らと濡れている様に見えて、その眼差しはそのまま彼の心情を表しているかのように右へ左へぎこちなく揺れて、そのまま再び畳へと落とされた。
結局僕自身と目を合わすことなく。
「…ぁ、……その、 ごめん」
蚊の鳴くような弱く力無い声。責められたという雰囲気だけ感じて反射的に返されたその単語には、心というより彼自身が其処には無くて、湿って腐りかけたような陰鬱なその音に更に神経を逆撫でされた。
何を其れ程までに彼の心を占めているのか。
「…謝るくらいなら、早く戻ってこいよ」
畳に膝をついて、壁に背を預けて座る関口へ四つん這いでそろそろと近づいていく。夏だと云うのに青褪めた肌は、放っておけば遠からず彼が体を壊してしまうであろう事を表している。
彼が己の裡に閉じこもってしまってから初めて、僕は彼の半径1メートル以内に近づいた。
僕はまだ幼くて、彼が閉じこもる殻を破ることも出来なければ、近くから見守る事も出来なかった。他人の、関口の翳が怖かったのだ。
どうせ何を云っても彼の心に残らないのなら、と、自棄になっていたのかもしれない。立てられた膝に右手を乗せた。ズボン越しに伝わる体温は元から低めの僕とあまり変わらない。背を伸ばして、栄養不足で乾いた唇に自分の其処を押しつけてみた。
「君は、関口巽だ」
その殻を出て、関口巽という器に戻ってこい。そう祈りにも似た心情で名を呼んだ。
一方的な接吻か、彼の名を呼んだ事か。果たしてそれらに効果があったのか、彼の虚ろに淀んでいた瞳が、初めて僕へと重なって焦点を結んだ。
「中禅寺」
未だ弱く力無い声ではあったものの、僕の名を呼ぶその声には正気が戻りかけていて、只それだけの事に僕は酷く安堵してしまった。
珍しく込み上げてくる笑いの衝動が堪え切れず、関口の膝に額を押し付けるようにして顔を伏せると緩む口元を彼から隠す。
「馬鹿か君は。グリム童話のお姫様じゃあるまいし」
「…………」
僕は何も云えずにただ京極堂の昔語りを聞いていた。聞いていたというよりも、彼の言葉に当時の記憶が呼び覚まされて行って、まるでそれは生々しい感覚となって僕自身に突き付けられていた。
「今考えれば、まあ僕自身も君の鬱に引っ張られかけていたのだろうね。論理的思考も理性的な行動も取れていない。今更かもしれないが、一発くらいなら殴ってくれても構わないぜ。当時僕もそれなりに追い詰められていたんだから、それで痛み分けとして欲しいものだが」
もう全く読むことを放棄した書物は、それでも京極にとっての最後の砦なのだろうか、目線はそこから上がる事はない。ただその眉間に刻まれる皺の深さが、この昔話に対する彼の後悔と苦しみなのだろうかと、どうにも云いたがらなかったその心を推し量った。
「ひとつだけ、確認したいんだけど」
「……何だい」
表情が更に暗くなる。今までに見たどの表情とも異なるそれは審判を待つ罪人の様な、いつもの彼とは対極に位置する表情だった。彼のそんな顔を見たのは初めてで、驚くやら滑稽なような、ただあまり長く見ていたいものではなかった。
若い京極堂…中禅寺も、こんな気持ちだったのだろうか。
「何故、接吻をしたんだ君は」
僕は立ち上がると卓をぐるりと回りこんで彼の隣りに立つ。顔を上げない中禅寺の旋毛を見下ろしながら、彼の答えを待つ。
「……あの年頃にありがちな、近しい者への情を履き違えたもの、だろう。誤解はされたくないから言っておくが、君以外にあんな事はしていないししたいと思った事もない」
「それは、あの時限りのものかい、京極堂」
畳に膝をついて、肩に手を添えると彼の表情を横から覗き込んだ。その眼が驚いたように開いて、僕を捉えた。
その表情が妙に幼くて、ああ、そうだ彼は険が取れたその表情は意外と綺麗なんだと学生時代眠る姿を見て思った事があるとぼんやり考えていた。
「いつも此方側に戻してくれるのは君なんだなあ」
つい数分前に蘇った記憶を準える様に少し背を伸ばして、少し体温の低い其処へと己の唇を押し当ててみた。
触れていた肩がヒクリと揺れて、それ以上の反応も抵抗もなくただ直に触れる個所から広がる知覚だけを感じて、僕はゆっくりと目を閉じた。
蝉の声はいつまでも響いていたけれどもう頭蓋には届かず、庭から吹きこんだ乾いた風が通り過ぎた後、彼が何と云うのか、ただそれだけが少し気になった。
なんだか個人的に珍しい感じになりました。関京って言うのが珍しいのだな…
姑獲鳥を読んだのはもう4年くらい前になるので色々と忘れていたり間違って覚えていそうだなーと思って手を出せなかったんですが、「あーもうパラレルパラレル!」と開き直ってやっちゃう事にしましたw
ショック療法。榎さんが後日二人に会って色々見ちゃってこう…旧知の友人二人が今更出来ちゃったことに微妙な気分になればいい。まさかの今更蚊帳の外で寂しい思いをすればいい!木場修や益田に八つ当たりして構ってもらえばいい!!!
……落ち着いてきます。